外国映画

映画レビュー「三姉妹~雲南の子」

2018年2月13日
映画レビュー「三姉妹~雲南の子」
貧困地帯で生きる少女たち。その過酷な現実が、ワン・ビン監督の眼差しを通して、ドラマティックな映像へと変換される。

貧困地帯で生きる少女たち

※新作「苦い銭」が公開中のワン・ビン監督によるドキュメンタリー「三姉妹~雲南の子」(2012)公開時に書いたレビューを、一部加筆した上で掲載します。

世界第2の経済大国、中国。だが、その巨大な富は、国の隅々まで行き渡っているわけではない。雲南省の高地に位置する小さな村では、繁栄から取り残された人々が、“赤貧洗うがごとき”生活を送っている。

本作は、「鉄西区」(1999-2003)、「無言歌」(2010)のワン・ビン監督が、この村で暮らす3人の幼い姉妹にカメラを向けたドキュメンタリーだ。

映画は、少女たちの日常を淡々と追っていく。最初に気づくのは、両親の不在。死別したのか、捨てられたのか。

映画レビュー「三姉妹~雲南の子」

説明がないまま見ていくと、母親は夫と娘たちを捨てて逃げ出し、父親は都会に出稼ぎに出ていることが分かる。

2人の妹の面倒を見ているのは、長女である。一日の大半を家畜の世話や農作業に費やし、妹たちに食事を与えている。近くに住む親戚を手伝うこともあり、その見返りだろうか、ともに夕食を囲む姿も映し出される。

親戚の家にはテレビがある。少女たちにとっては唯一の娯楽だ。次女がちょくちょく口にする歌の一節やドラマのセリフらしき言葉の断片は、テレビで聞き覚えたものに違いない。

映画レビュー「三姉妹~雲南の子」

長女は10歳だが、ほとんど学校へは通っていないようだ。しかも、しょっちゅう咳をしている。病気なのだろうか。しかし、誰も彼女を気遣おうとはしない。

やがて父親は出稼ぎから帰ってくるが、それもつかの間、妹2人を連れて再び村を出て行く。長女の面倒を見るだけの余裕はないのだろう。

1人置き去りにされた長女が、大した理由もなく年下の子に暴力をふるい、そのことで相手になじられる場面は、見ていてつらいものがある。母親の存在をちらつかせて強気に出る相手にたじろぐ長女の表情を、ワン監督の手持ちカメラが容赦なくとらえる。

映画レビュー「三姉妹~雲南の子」

姉妹3人の生活、父の帰還、長女1人だけの生活、父と妹たちの帰還――。淡々とした映像の中に、起伏のあるストーリーや印象的なショットがあり、1編のドラマとして楽しむことができる。

フィクション作品の「無言歌」がドキュメンタリー的要素を持っていたように、ドキュメンタリーである本作には、フィクションの要素がある。抜け目のない撮影と、巧みな編集作業が、虚実の境目を曖昧にしている。

父親と娘たちがバスに乗り込む場面では、カメラを手に同行する監督の存在を隠さないことで、あえて本作の虚構性を際立たせてもいる。

貧困地帯で生きる少女たち。その過酷な現実が、監督の主観的な操作を通して、ドラマティックな映像へと変換され、見る者に深い感銘を与える。

三姉妹~雲南の子

2012、フランス・香港

監督:ワン・ビン

公式サイト:http://moviola.jp/sanshimai/

コピーライト:© ALBUM Productions, Chinese Shadows

文責:沢宮 亘理(映画ライター・映画遊民)

この映画をAmazonで観る

この投稿にはコメントがまだありません