患者たちとの別れ。認知症を患う妻との生活。引退を決めた精神科医・山本氏の人生に迫る、純愛ドキュメンタリー。

精神科医と妻の純愛物語

※新型コロナウイルスの感染拡大を防止するため、本インタビューは対面ではなくオンラインで行われました。

心を病んだ人々の姿を真っ正面から描き、世界中から絶賛された「精神」(08)。その陰の主人公とも言うべき精神科医の山本昌知氏が、突如として引退を決めた。患者たちとの別れ。認知症を患った芳子夫人との生活。82歳の山本氏に訪れた人生の新たなステージとは――。

愛する人との別れ

――映画の前半は、医師を引退する山本氏が患者の一人ひとりに別れを告げていくシーンで構成されていますね。患者が山本氏と精神的につながり、離れ難い関係になっているのに、そこから引き離されてしまう。そのやるせない感情が生々しく写し撮られていて、心をかき乱されました。

撮影前には、引退後の山本先生の生活が撮れればいいと思っていた。でも、前作を見ていない人には、山本先生がどんな人かが分からない。そこで、駆け込み的に最後の診療場面を撮影してみた。

すると、まるで今生(こんじょう)の別れみたいな光景が展開し、気が付くと、僕は涙を流しながらカメラを回していた。ひょっとしたら、この診察室だけでも映画になるのではないか。そう思うぐらい、ここは重要なシーンになっている。

――突如として別れを切り出された恋人みたいな……。

まさに別れ話。でも、そこには普遍性がある。つまり、精神科の医師と患者という関係だけではなく、どんなに好きな人とでも別れなければならない日は必ずやってくる。

“愛別離苦(あいべつりく)”という言葉があるが、愛おしい人と別れることほど、人間にとって辛く悲しいことはない。そういう場面に期せずして立ち会った。背筋に鳥肌が立つような感じだった。

――山本氏と患者たちとの一種の愛の物語と言えますね。

僕は“純愛”という言葉を使ったが、必ずしも夫婦だけのことではなく、山本先生と患者の間にもそれはあったのではないか。人間が人間を好きになること、愛し合うこと、そしてお別れを言うことは、全編に通底するテーマとなっていると思う。常にそれを感じながら撮影していたし、編集時にもその視点は大切にした。

人間として作家として

――後半は、芳子夫人が突如として画面に入ってくるところから始まります。ここは、想田監督と夫人との絡みがとても面白かった。ドアを開けられずにいる夫人を手助けしてあげる場面。あそこは、思わず手を差し伸べてしまったのですか?

毎回、ああいう場面では迷ってしまう。人間としてはやはり手を貸したい。だけど、手を貸すことによって、芳子さんが普段ぶち当たっている困難などが見え難くなってしまう。映画作家としては、その部分も撮らせてもらいたい。

人間としての僕と、作家としての僕との間で、引き裂かれてしまう。よくよく考えた上での決断ではなく、とっさの判断なので、自分でも何故ここで手を貸したのか、分からない。

最後にお墓に向かう場面では、逆のことをしている。芳子さんが車を降りた後、ドアが開いたままになっていた。そのとき、僕は「ドアが」と言うのだが、閉めて差し上げなかった。なぜ閉めなかったかと聞かれるが、自分でもよく分からない。

あそこに監督としての僕の距離感が現れてるなどと言われるが、そんな格好いいことではない。あとから考えたら、閉めても全然OKだった。だけど、なぜか体が動かなかった。その迷いが克明に映っている。自分自身も観察の対象になっている。

――芳子夫人の認知症のことは撮影前から知っていたのですか。

知っていた。実は「精神」を撮った頃からご病気は始まっていた。お会いするたびに少しずつ進行していった。十年以上のお付き合いになるが、その間の芳子さんの変化にも気づいていた。

――食事のシーンでは想田監督を学生と思い込んでいますね。

たぶん、僕がアメリカから来ているというのは、芳子さんの記憶の中に鮮明にある。それで、アメリカの学校に通っていると思われたのだと思う。「これ、おせんべい。知っておられる?」って芳子さんに聞かれた僕が「おいしい」と答える。そのあと、「グー(good)じゃな」とおっしゃったのは、たぶん僕のことを「アメリカの人」だと思ってるから。つまり、僕のことを認識したうえで話しかけてくださっている。

男性中心の社会の構図

――ご夫婦で芳子夫人の友人の家を訪ねるシーンでは、それまで語られなかった夫婦生活や家庭生活のご苦労など、思いがけない話が披露されます。あれは、想定外でしたか?

まったく想定外。まあ、すべて想定外なのだが、あの場面は特にそう。実は、もうそろそろ必要な素材は撮れたと思うので、「撮影はだいたいこれで終わりです」と告げたところ、山本先生から「もう一軒一緒に行かん?」とお誘いがかかった。願ってもないことだったので、同行させてもらった。そうしたらああいう展開になって、結果的に非常に重要なシーンになった。

お友だちの口からは、僕らの知らないことばかりが出てくる。そこには芳子さんと山本先生の関係だけじゃなく、男性中心の家父長制的な社会の中で女性が置かれてきた立場、味わった苦しみなども垣間見える。

山本先生と芳子さんは二人三脚で同じように苦労して、患者さんの支援をされてきた。そのことは、あの場面でもよく分かるのだが、もしかしたら芳子さんの方が大変だったかもしれない。山本先生が偉大な仕事を成し得たのも、芳子さんの存在があればこそ。うすうすそれに気づきながら、「精神」のときはまったく芳子さんに目を向けられなかった。

つねに輝いているのは男性で、一緒にやっているはずの女性の方は影になってしまう。そんな男性中心の社会の構図に、僕自身の目も曇らされてたんじゃないか。そういう反省もある。僕自身にとっても重要な場面となった。

――そして、ラストの墓参りのシーン。圧巻でした。

あれは、撮った瞬間、ラストシーンになると思った。山本先生と芳子さんの人生が凝縮されている。ご夫妻の未来を予感させるし、過去にもアクセスできる。しかも、あれは芳子さんではなく山本先生のご実家のお墓。そこにもやはり意味が出てくる。いろんなことが象徴的にギュッと詰まっている場面。これはラストシーンになると思った。

ゼロに身を置く

――最後に、タイトルの「精神0」に込められた思いを。

もともと英語の題名が「Zero(ゼロ)」。これが先に決まっていて、日本でも「ゼロ」にしようかなと思っていたが、配給してくれた東風の木下代表が「できれば『精神』との関連が見えたほうがいい」と言って、「精神0」というタイトルを提案してくれた。

――0というのは?

いろいろ解釈できる。哲学的な思索を刺激するようなところが、この映画に合っていると思う。山本先生のお話にも「ゼロに身を置く」という言葉がある。これは先生が患者さんに言っているだけでなく、自分自身にも言い聞かせている言葉なんじゃないかと思っている。

僕自身も、つらい時によくこの言葉を思い出す。つらくて何もかもネガティブに感じられるとき、ゼロに身を置いてみると、不思議なことに、ふっと救われる気持ちになる。しかも、ゼロというのは何か非常に大きな言葉で、すごい喚起力がある。だから「精神0」がいいと思った。

『精神0』(2020、日本/アメリカ)

監督:想田和弘

2020年5月2日(土)より、「仮設の映画館」にて全国一斉配信。以降、シアター・イメージフォーラム他全国ロードショー。

公式サイト:https://www.seishin0.com/

コピーライト:©2020 Laboratory X, Inc

※想田監督の写真は東風より提供

仮設の映画館:http://www.temporary-cinema.jp/

関連するレビュー・記事

映画レビュー「牡蠣工場」
映画レビュー「牡蠣工場」
瀬戸内海に臨むのどかで美しい町、牛窓。その小さな牡蠣工場には、今日の日本が直面する多くの社会問題が凝縮していた。

映画レビュー「港町」
映画レビュー「港町」
過疎化が進む岡山県の港町。年老いて一人で暮らす人々の魅力的な素顔を、美しいモノクロ映像で描き出す。

映画レビュー「選挙2」
映画レビュー「選挙2」
「脱原発」を掲げて市議会選を戦う一人の男を追い、今日の日本社会と選挙制度の問題点を鮮やかに照らし出す。

「精神」想田和弘監督 単独インタビュー
「精神」想田和弘監督 単独インタビュー
なぜ心を病んだのか? 何がつらいのか? 健常者とどう違うのか? 精神障害者の実像に鋭く迫る問題作。

映画レビュー「ザ・ビッグハウス」
映画レビュー「ザ・ビッグハウス」
全米最大のアメフト・スタジアム。17台のカメラがその全貌をとらえた。記録された映像は、現代アメリカの縮図そのものだった。