すべては市民のため
リンカーンの「人民の、人民による、人民のための政治」を引き合いに出すまでもなく、民主国家における主権者が人民であることに疑いの余地はないはずだ。
フレデリック・ワイズマン監督の新作ドキュメンタリー「ボストン市庁舎」を見て、この当たり前の原則が、当たり前のように実践されていることに、なぜか感動してしまった。
なんで当たり前のことに感動するのか。あなたは民主国家の住民ではないのか? もしそう問われたとしたら、素直にイエスとは言えないだろう。
今の日本において、国政は言うまでもなく、三大都市に代表される地方行政も、本来の民主政治とはほど遠いもの。少なくとも、本作に描かれているボストン市政とは遥かなる隔たりを感じるのだ。
象徴的なのが、リーダーの姿だ。マーティン・ウォルシュ市長。ボストン出身で、アイリッシュ系労働者家庭で育ったウォルシュ市長は、徹底的に市民の視点でものを考える政治家だ。
子供の頃にがんを患い、アルコール中毒に苦しんだ経験を持つせいもあるのだろうか。弱者の立場に敏感であり、苦境にある者への共感に富む。
一日に4回の演説をこなすほどの弁舌家だが、日本の政治家とは異なり、スピーチ原稿やメモなど持たず、すべて自分自身の言葉で語りかける。だから言葉に熱がこもり、説得力もある。
そのメッセージは、市民の琴線に触れ、希望を灯す。職員には使命を自覚させ、その士気を高める。
職員たちもまた、ウォルシュ市長と同様に弁が立つ。それは小手先のテクニックなどではなく、問題解決に向けて思考し、議論するための手段として、各人が培ったに違いないコミュニケーション能力なのだ。
お仕着せの言葉が発せられることはなく、その時々の議論を前に進めるための、建設的な言葉が紡ぎ出されていく。言い負かすためのディベートではなく、結論に近づくための弁証法的議論。共有される目標は、市民生活の改善という一点に尽きる。
すべては市民のため。だから、個々の事情を斟酌し、あえてルールを破ることもある。駐車違反をした男性が妻の出産で不安定な精神状態にあったことを知り、担当職員が違反を取り消すシーンは印象的だ。
そこにあるのは、組織人ではなく個人としての判断だ。“お役所仕事”とはかけ離れた人間的な対応に心を打たれる。
ラテン系職員に対し、ウォルシュ市長がアイリッシュとしての自身の苦労話を披露しつつ、エールを送るシーンにも、同じように人間味があふれていて、胸が熱くなる。ウォルシュ市長の人間性が、市庁舎の隅々にまで伝播しているかのようだ。
この人は決して「自助」などと口にしないだろうし、「排除します」とも言わないだろう。困っている人、弱い立場の人を助けること。それこそが行政の基本であり、民主主義の原点なのだということが、頭だけではなく体にまで沁み込んでいるからだ。
撮影時に大統領だったトランプには、もちろん真っ向から批判の言葉を投げつける。そんなウォルシュの姿を、ワイズマンは賛嘆の眼差しで見つめているように思える。
世界中で民主主義は危機的状況にある。放置すれば社会は破壊されていく。食い止めるには有能で誠実なリーダーが必要だ。民主主義が守れるかどうかはリーダー次第なのだ。
ボストン市庁舎
2020、アメリカ
監督:フレデリック・ワイズマン
公開情報: 2021年11月12日 金曜日 より、Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ他 全国ロードショー
公式サイト:https://cityhall-movie.com/
コピーライト:© 2020 Puritan Films, LLC – All Rights Reserved
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