自由な世の中を渇望し、無謀な挑戦に命を燃やした若者たちの物語。「この映画が、世の中を変える着火剤になればいいと思った」

アナーキストと女力士が、夢に向かって疾走する

大正末期の日本。関東大震災後の不穏な空気が漂う時代。「社会を変えたい」と夢見るアナーキスト集団「ギロチン社」の青年たちが、抑圧から逃れ「強くなりたい」と願う「女相撲」の力士たちに出会う。国家権力に抗い、「自由な世界」に向かって疾走する若者たち。彼らの熱い思いは、閉塞の時代に風穴を開けることができるのか――。瀬々敬久監督は「この映画が、世の中を変えるうえで、一つの着火剤になればいい」と語った。

社会の極右化に対応して脚本を書き直す

――インパクトのあるタイトルは、ルース・ベネディクトの「菊と刀」を連想させますね。

「菊と刀」は意識しました。あれが正統な日本論だとしたら、この映画は異端の日本論。女相撲の力士にしても、ギロチン社というアナーキスト集団にしても、日本の中心ではなく周辺にいる人々。あくまで正史ではなく裏面史的な視点で日本を見てみたい。そんな発想がありました。

――構想されたのは30年前とのことですが、当初からこのような作品を思い描いていたのですか。

脚本は何回か書き直しています。最初はもっと牧歌的な、青春映画っぽいものだった。アナーキストの男たちと、女力士たちが出会って、いろいろあってみたいな、もう少し単純なものだった。

ところが、その後、東日本大震災が起こり、秘密保護法とか、「共謀罪」法などが制定され、社会のムードが変わった。日本ばかりでなく世界中で極右政党が台頭し始めた。

関東大震災以降、戦争に突入していく雰囲気と似ているなと思い、改めて関東大震災について調べ直しました。自警団や在郷軍人会。彼らによる朝鮮人虐殺……。こういった問題を、3.11以降に入れ込みました。

観念先行のギロチン社、地べたで生きる女相撲

――今回、製作に踏み切った理由は何でしょう。

今、こういう状況の中で、この映画を出すことは、世の中を変えるうえで、一つの着火剤になるのではないかという思いはありました。自主制作でしかやれない題材でしたが、ちょっと無理してでもクランクインしようとは決めていました。

――「女相撲」と「ギロチン社」の組み合わせは新鮮ですね。

ギロチン社の青年たちは観念先行で、生活感が希薄。要するに、身体性が伴っていない。「それだけだと映画にならないな」と思ったときに、女相撲の興行があったことを知りました。

彼女たちは貧しい農村の中で虐げられていた。そんな女性たちが女相撲を見て、「女もこんなに強くなれるんだ」と思って、家を飛び出して、力士になる。

力士としての人生には、身体性も生活感もあるわけです。ギロチン社という頭でっかちな人々が、女力士という地べたで生きる人たちとくっ付くことで、化学反応を起こし、「何かもう一段階上のものが表現できないか」という狙いもありました。

――主演に木竜麻生さんと寛 一 郎さんをキャスティングした決め手は何だったのでしょう。

出資者を募る際に出演者も公募したところ、700人ぐらい応募がありました。すでに知っている人、有名な人以外は全員面接すると決めて、500人ぐらいと会った。

寛 一 郎は芝居が初めてだったが、血筋もあるのか、持っているオーラがほかの人とは違うと感じた。木竜麻生は不器用そうだが、芯の強さを持っている。土着的な感じもあって、この映画に合うと思いました。

一筋縄ではいかない天皇制の問題

――劇中、浜辺で女力士たちが踊るシーンに、アフリカン・ビートの音楽を使っていますね。

このシーンは、脚本で参加してもらった相澤虎之助のアイデア。彼の所属する映像制作集団「空族」には南方志向があって、「バンコクナイツ」(2017)もそうですが、南のほうに理想郷が存在するという発想がある。

南方のビーチで、ジャンベ(西アフリカ起源の打楽器)がリズムを刻む。一方で、中濱鐵(東出昌大)が、パリのならず者の心情を訴えた「アパッシュの歌」を歌う。無国籍的でインターナショナルな雰囲気のシーンが生まれました。

――拷問にかけられた在日朝鮮人の十勝川(韓英恵)を救いに行き、逆に捕えられた中濱が、在郷軍人会の飯岡と部下たちに処刑されかけるシーン。あわやという瞬間、十勝川が立ち上がり、最も口にしたくないはずの「天皇陛下万歳」という言葉を絞り出すように言う。続いて飯岡たちが直立不動で「天皇陛下万歳」と叫ぶ。それを古田大次郎(寛 一 郎)がじっと冷めた眼で見つめている。印象的な場面でした。

天皇制の問題は一筋縄ではいかない。戦争責任の問題がある一方、日本人には天皇に対し、土着的な意味合いで、何か親しみを感じている面もある。かたや在日朝鮮人からすると、また全然違う見方になる。

そういう矛盾した存在について、いろいろな局面からの感情をぶつけたいという衝動があったように思います。単純に割り切れないエモーション、言葉にしづらいエモーション、そういうものが、あの瞬間に噴出する。そんなシーンにしたかった。

あの場で、寛 一 郎は、どこか冷めた眼で一部始終を見ている。その目つきがいいなと思った。全員が狂乱しているわけではないんだという。

あれは僕が演出しているのではなく、寛 一 郎自身の眼差しです。あの目があることで、このシーンが決まっている。

個人と個人のエモーションがぶつかり合う

――後半、3組のカップルができて、前半とは流れが変わっていく。古田と花菊(木竜麻生)の夫との格闘も、「ヘヴンズ ストーリー」(2010)の終盤の一対一の対決を彷彿とさせ、迫力ある画面を生み出しています。

「ヘヴンズ ストーリー」では、日本の現実の社会を大枠に、「罪と罰」的なところで日本を描こうとした。「菊とギロチン」は、過去の歴史を含めて、現代にも通じる日本、あるいは日本を含めたアジア、そういうものが大きな前提になっている。

前半はちょっと俯瞰視点というか、いろいろな人たちを絡ませながら、後半は個人と個人のエモーションをぶつけ合わせることで、そこから生まれるものが、大きな前提をも覆せるんじゃないか。そんな発想がありました。

俯瞰だけで物事を語ることはできない。やはり最後は人間というものが立ち現れてこないと、映画は面白くならない。

――この映画をどんな人たちに見てもらいたいと思いますか。

青春映画なので、若い人たちに見てもらいたい。特にこういう日本の歴史をよくご存じでない人たちにこそ見てほしい。

舞台は大正時代ですが、今を生きている人たちの目で作っている。SNSで人と人がつながっているヴァーチャルな世の中で、ダイレクトに人間と人間がぶつかり合うこの映画がどう響くか。感想を聞いてみたいですね。

『菊とギロチン』(2018、日本)

監督:瀬々敬久
出演:木竜麻生、東出昌大、寛 一 郎、韓英恵、渋川清彦、山中崇、井浦新、大西信満、嘉門洋子、大西礼芳、山田真歩、嶋田久作、菅田俊、宇野祥平、嶺豪一、篠原篤、川瀬陽太

2018年7月7日(土)より、テアトル新宿他全国ロードショー。

公式サイト:http://kiku-guillo.com/

コピーライト:© 2018 「菊とギロチン」合同製作