草の根ジャーナリズムが町を動かす
石川県穴水町。冒頭に映し出されるのは、町民たちによる会合の様子だ。町長、役所の職員、町議らも参加しているが、誰も発言しようとしない。その中で、ただ一人、男性が口を開く。
過疎化で町は存続の危機に瀕している。なのに、積極的に動こうとしない町議たちへの苦言である。だが、男性の発言に同調する者はいない。
「長いものには巻かれろ」とばかり、トップが決めたことに唯々諾々と従うだけ。町民や職員に問題意識が全くないわけではないだろう。しかし、共同体の同調圧力に抗ってまで異論を唱えることはできないようだ。結果的に町は衰退、町民の生活も悪化していく。
そんな流れを変えたい一心で、手書きの新聞「紡ぐ」を発行しているのが、会合で発言していた男性、滝井元之さんだ。中学校で数学教師を務めた後、妻と猫7匹とともに限界集落に住みながら、取材・執筆に明け暮れる日々を送っている。
「政治とは“光の当たらないところに光を当てる”ことが原点」「穴水町の将来はどうなる!?」――ストレートでインパクトある見出しに、滝井さんのジャーナリスト魂が脈打つ。
大手メディアの取材が入らない小さな町。だからこそ、この手書き新聞は存在価値を持つ。報道とは可視化、透明化である。隠された事実を白日の下にさらすのがその役目だ。
メディアで事実が明かされるからこそ、権力は勝手な真似ができなくなる。メディアを通して、住民が権力の監視をするようになるからだ。民主主義とはそういうことだ。
本作の撮影中に、能登半島地震が起きた。その3カ月後の4月に発行された「紡ぐ」に、滝井さんは「私たちは生きています。少しでも前に進みませんか!?」と書いた。
5月には、本作のベースとなったドキュメンタリー番組がテレビで放送され、大きな反響を呼んだ。滝井さんの知名度も上がった。
その後の町議会には、傍聴席に多くの町民の姿が見られた。町民の意識に変化が起きていた。民主主義が育っている。それは手書き新聞「紡ぐ」、そして本作を制作した石川テレビの功績もあるだろう。
しかし、それ以上に能登半島地震の影響も大きい。町民はもちろん町長や町議にとっても大きな危機だった。当事者になった以上、嫌でも本気にならざるを得ない。私欲を捨てて町のために尽くさなければならない。窮地に追い込まれて初めてバラバラだった人々の心が一つになるというのは、情けないことではあるが、結果オーライと言うべきか。
もちろん、それで穴水町が完全に民主化されたわけではない。作中でも描かれているように、利益誘導は相変らず続いているし、解決すべき問題は山積している。だが、数なくともデモクラシーの可能性は見えたような気がする。
「はりぼて」(2020)、「裸のムラ」(2022)に続く、五百旗頭幸男監督の新作。映画の終盤、ダメ押しの不正追及をする五百旗頭監督の姿に、滝井さんと同じ熱いジャーナリスト魂を見た。
能登デモクラシー
2025、日本
監督:五百旗頭幸男
公開情報: 2025年5月17日 土曜日 より、ポレポレ東中野、第七藝術劇場他 全国ロードショー
公式サイト:https://notodemocracy.jp/
コピーライト:© 石川テレビ放送
配給:東風