吉行文学を忠実に映画化
主人公の矢添克二は小説家である。若い頃に結婚したが妻に裏切られ、そのことが傷になっている。女性を専ら性的交渉の相手としか見られなくなったのは、そのためだ。恋愛はしない。
性的欲求が起これば、売春クラブに電話する。千枝子という馴染みの娼婦は不感症だが、矢添は気に入っている。

そんな矢添がいま執筆しているのは、矢添の分身と思われる作家Aと女子大生B子との恋愛関係を綴る小説だ。AはB子を純潔な女と思い、大切に取り扱おうとしている。
矢添の分身であるからAに性的欲望はもちろんある。だが、Aは自分の欲望に歯止めをかけている。

今の矢添に精神的な愛は可能なのか。矢添はAとB子という虚構のカップルに託してそれを確かめようとしているわけか。
物語の早い段階で矢添はB子と同年齢の女子大生・瀬川紀子と知り合い、たちまち男女の関係になる。それは小説の展開にも影響を及ぼし、矢添は紀子とB子を比べてみたりもするのである。ほかにも、売春クラブで紹介される若い女が登場し、やはり小説に大きな作用を及ぼす。

原作小説は、現実の矢添と小説内のAの世界を、並行して描いているが、本作もその構造を採用している。両者を橋渡しするものとして、矢添が執筆する原稿の映像が随所に挿入されている。
まさに映画ならではの描写であるが、書き記される文章は、原作小説と同一である。ほかにも、全体の構成を含め、本作はほぼ原作をそのまま踏襲している。セリフも多くが原作どおり。

もちろん余分な部分は割愛され、差別語などもカットしてあるが、基本的には原作に忠実で、これほど脚色の少ない映画は珍しいのではないか。
映画ならではの工夫は、鮭、糸屑、信号、盲腸の手術跡、口紅などを赤に発色させている点だろう。吉行文学のムードを再現するためだろうか、本作は全編モノクロで撮影されている。だが、上記の数カ所のみ象徴的に赤を使用し、矢添の突発的欲情を表現している。

愛と性の探求者として文壇に並ぶ者のいなかった吉行淳之介。これまで「砂の上の植物群」や「暗室」など、代表的な作品のほとんどが映画化されてきたが、今回ついに本作が映画化されたわけだ。小説の出版から約60年たっている。

数十年ぶりに原作を読み返してみたが、古びたところが少なく、さすが吉行と感心した。荒井晴彦監督がさほど原作に手を加えず、映画化できたのは、吉行に対するリスペクトもあろうが、いまだに鮮度を保つ原作の不朽性によるところも大だろう。

時代設定は原作から3年後にずらして、1969年。学生運動の嵐が吹き荒れていた季節だ。これは、長髪で矢添を演じた綾野剛が自然に溶け込める時代としても適切だったと思うし、「星と月は天の穴」のタイトルに絡む終盤のエピソードからも必然である。

男女の性的関係がテーマではあるが、映像は詩情をたたえ、描写も露骨さがなく、いわゆるポルノとはほど遠い。これをR18+にするのはどうかと思う。
星と月は天の穴
2025、日本
監督:荒井晴彦
出演:綾野剛、咲耶、岬あかり、吉岡睦雄、MINAMO、原一男、柄本佑、宮下順子、田中麗奈
公開情報: 2025年12月19日 金曜日 より、テアトル新宿他 全国ロードショー
公式サイト:https://happinet-phantom.com/hoshitsuki_film/
コピーライト:© 2025「星と月は天の穴」製作委員会
配給:ハピネットファントム・スタジオ
