インタビュー・会見日本映画

「餓鬼が笑う」平波亘監督 単独インタビュー

2022年12月22日
骨董屋を目指す大貫大は、古書店で佳奈と出会い、恋に落ちる。その後、大は山奥で地獄を彷徨い、路上生活者となってしまうが――。

若者が地獄を巡り人生を生き直す

地獄巡りから戻ってきた若者は、さらにキツいこの世の地獄を味わった末に、もう一度人生を生き直す。異才・平波亘監督が描く摩訶不思議な転生の物語。リアルとファンタジーが一体となった作品世界の成り立ちを、平波監督が語った。

あの世の地獄よりこの世の地獄

――骨董屋を目指す若者が主人公の物語。自らも古美術商である大江戸康さんの原案を脚本化したそうですね。

大江戸さんから最初に受け取った“脚本のようなもの”。僕はそう呼んでいるんですが、そこには近代小説のような圧倒的な情報量と、予算に縛られない自由な発想がありました。

そのまま映画化したら10億円くらいかかるんじゃないか。それくらいのスケールだったものを、現実的なものに落とし込みながら脚本化していきました。

発想の起点としたのは、主人公の大が“何者でもない存在”だということでした。大と佳奈とのラブストーリーもそこから膨らませていきました。

いずれにせよ、骨董屋をめざす若者を主人公に据えるという発想は、自分の中からは生まれなかったでしょうね。大が競りの市場に行って、その後、地獄巡りをするという流れも原案を踏襲しています。

――地獄巡りをして戻って来たら、そこはさらにすごい地獄でしたね。

あの世の地獄とこの世の地獄、どっちが怖いかというと、僕は後者の方だと思っていて、戻ってからの方を怖く描きました。もともと萩原聖人さんが演じた国男という先輩の骨董屋は前半だけの出番だったんですが、後半にホームレスとして再登場させたのは僕のアイデアで、この世の地獄を描くのに恰好の存在だと思ったからです。

――地獄と言えば、大が地獄巡りから帰って登場するときに、外見に変化があるのですが、あれはどんな意味があるのでしょう。

もともと地獄から帰ってきて以降の髪型は、大を演じた田中俊介くんの当時の髪型だったんです。でも、僕は前半の大をナイーブな青年という見た目にしたかったので、外見的にも変化が起こる演出をしました。田中くんは髪が短いとワイルドというか、精悍な感じにもなるし、地獄から帰って来て心情的にもちょっと荒んだ感じも表現できる。映画の中盤以降のギアチェンジがしたかったので、後半の大はそのときの田中くんの髪型を生かしていこうということになったんです。

観客からすると、何でこいつ急に髪切ってるんだ?ってことになって、それはそれで面白いですけど(笑)。田中くんはそういうことに何も疑問を持たずにやってくれた。物語をそこまで深く理解するよりも、劇中の大と同じようにその時々の状況に呑まれてやっていったほうがいい。そんな判断も彼の中であったと思います。

ラスト10分の逆転劇

――競りの市場の場面は迫力がありましたね。

あの場面は、企画・原案・共同脚本の大江戸さんもすごく力を入れて臨みました。あそこの市場にいらっしゃる30名ぐらいの骨董屋の人たちは、骨董屋の大江戸さん自身が声をかけて集めてくれた。場所は飯能の山寺をお借りしました。

朝から夜中までひたすら競りを撮っていましたね。市場の流れはかなり精密に再現できたと思います。

骨董屋の皆さんは骨董のプロではあるけれど、役者のプロではない。しかし、骨董屋も競りをやっていく中で、互いにいろいろ心理的駆け引きがあるわけです。

そういう意味では、彼らも役者なんですね。すごくいい表情もされるし、素晴らしかった。映画を見た人からも「よかった」という感想をいただいています。苦労して撮った甲斐はあったなと思います。

――居酒屋から大と佳奈と出てくるところをもう一人の大が見ていたり、子供時代の自分と父親が遊んでいるのを大が見ていたり、大はしばしば時空の論理を超えた形で登場しますね。

本作では記憶をめぐるラブストーリーという面を強調したかったのですが、大はいろいろと寄り道するので、意外に佳奈と会っている時間が少ない。脚本を書いていく段階でそのことが気になりました。

リアルに会ってコミュニケーションをとるのも、もちろん大事だと思うんですが、そうじゃない方法で会うのもありかなって思った。

そこで、かつて佳奈と過ごした居酒屋の前で当時の自分たちを客観的に眺めるとか、誰もいない映画館で抱き合うシーンとか、ああいう映画ならではの表現を多用しようと思ったんです。

――ラストの10分ぐらいで大の運命が逆転しますよね。

大がいろいろなことを経験していくというストーリーを書き進めていくうちに、後戻りできないところまで行っちゃったなと思って、どうしようかなと考えたときに、“生き直し”っていうモチーフが浮上したんです。

この映画のオファーをいただいたのが2020年の4月で、ちょうど最初の緊急事態宣言が出た頃です。僕は鬱屈した気分で脚本を執筆していましたし、友人たちも塞ぎ込みがちで、世の中全体に沈滞ムードがあふれていました。

そんな状況の中で、何とか這い上がるにはどうしたらいいのか。僕はフィクションの力を信じたいという気持ちでずっと創作を続けていますが、そこに“生き直し”という選択があるんじゃないかなと。

あの最後の10分の見え方は、ある意味、観客へのメッセージにもなっています。それは希望かもしれないし、這い上がるための活力かもしれない。そういったことは可能だと思うし、そういう飛躍を常に求めているところが自分にはあるんでしょうね。

――生き直したい、やり直したいという願いは、誰もが抱いているロマンだと思います。

そうですね。ただ、単純に生き直すっていうのは彼にとって虫がいいんじゃないかという気もしました。だから、けっこうネガティブなパターンでも書いてみたんです。生き直しはしたけど、本当に大切なものは失ってしまっている世界。そういう可能性も考えてみました。一つの物語として、それはそれですごく美しいと思ったんですけど、ちょっとどこか閉じた感じになってしまう。結局、今の自分がやりたいことは、もっと開かれたクライマックスだなと思い直し、現状の形になりました。

助監督の現場で培ったもの

――平波監督は監督としてデビューされた後も、多くの作品に助監督として参加していますね。なぜ助監督を続けているのでしょうか。

身もふたもないことを言えば、最初は生活のために助監督をしていました。身近にいる監督たちの自主映画とかインディーズ作品とかを手伝っていたんですが、気が付くと、商業作品の現場にまで呼ばれるようになりました。

いわゆる監督になるためのステップとしてやっているわけでは全くなくて、そういう時代でもないと思っています。インディーズとか商業映画とか問わず助監督を続けている理由としては、経済的なこともありつつ、現場っていうのは業界の最前線だと思っているので、そこで発信されることを自分の肌でインプットしたい、吸収したい、そして自作でそれをアウトプットしたい、そういう気持ちはすごくありますね。

とは言え、今回「餓鬼が笑う」という作品を監督して、いま公開に向けて宣伝していく中で、助監督という仕事との兼ね合いは難しいものだというのは日々痛感しています(笑)。

でも可能な限り、お世話になっている人の仕事は受けたいし、逆に全く知らないところから声をかけてくださる人の要望にも応えたいと思っています。

――監督の仕事と助監督の仕事との違いは何でしょうか。

使う脳みそが違いますね。助監督というのは、作品のクオリティ以外の面倒なことにも気を使わなければいけないけれど、監督はひたすらクオリティだけを追求していればいい。僕はその両方の視点で映画の現場を見ていたいんですよ。

それに、助監督業をやっているからこそ出会える人もいる。いろいろな現場を渡り歩いて出会いを重ねられるのは、助監督をやっている人間の特権じゃないでしょうか。

本作でいえば、企画原案の大江戸さんは僕が山本政志監督の「脳天パラダイス」の助監督をやったときに知り合った人だし、プロデューサーの鈴木徳至くんも7年前ぐらいに現場で出会って、いつか巻き込んでやろうと思っていた人ですからね。

――そういった“財産”があればこそ実現した作品だということですね。では、最後にこれから映画を見る人たちに、メッセージをお願いします。

“餓鬼”というと何か怖いものというイメージがあるかもしれませんが、それだけではありません。この現実社会を生きていくために必要なたくましさだったり、悪知恵だったり。そういうものを全部いったん肯定して、何が何でも生きていこうという思いを、餓鬼という言葉に込めたつもりです。

劇中の登場人物も言ってますけど、どんな状況でも笑おうとする気持ちを忘れないような映画にしたいと思って作りました。ぜひ劇場で楽しんでいただけたらと思います。

「餓鬼が笑う」平波亘監督 単独インタビュー

餓鬼が笑う

2021、日本

監督:平波亘

出演:田中俊介、山谷花純、片岡礼子、柳英里紗、川瀬陽太、川上なな実 / 田中泯、萩原聖人

公開情報: 2022年12月24日 土曜日 より、新宿K’s cinema他 全国ロードショー

公式サイト:https://gaki-movie.com/

コピーライト:© OOEDO FILMS

配給:ブライトホース・フィルム、コギトワークス

文責:沢宮 亘理(映画ライター・映画遊民)

この投稿にはコメントがまだありません