日本映画

映画レビュー「こちらあみ子」

2022年7月7日
「応答せよ、応答せよ」。トランシーバーに叫んでも返事はない。何をしても空回り。誰も判ってくれない。あみ子はいつも孤独。

あみ子の声は誰にも届かない

小学生のあみ子は、見るからに変わった女の子だ。協調性がなく、一人よがりで、周りが自分をどう思うかなんて全く眼中にないようだ。

それは“我が道を行く”という孤高の境地とは全く違う。社会性の欠如がもたらす孤立状態なのである。

純粋無垢とも言えるが、近くにいる者にとっては迷惑この上ない。好きだ。そう思ったら猪突猛進。相手の気持ちなどお構いなしに、その気持ちを公言し、ストーカーのように付きまとう。

ペロペロと表面を嘗めて乾かしたクッキーを、意中の同級生に食べさせてしまう。大人だったら犯罪もどきの行為。それをいとも無邪気にやってのける。

常識や節度というものを知らない。母親が妊娠し死産に終わると、その墓を作り金魚の墓の隣に立てる。あみ子としては、慰めるためにやったことだが、ようやく悲しみから立ち直りかけていた母親にとっては、とどめの一発となる。

家族はほかにサラリーマンらしい父親と、中学生の兄。父親も子供たちも“さん付け”で呼ぶ母親は再婚のようであるが、そのことについての言及はない。

父親は子どもを強く叱ることをしない温厚な人物だが、得体の知れないところがある。人間的温かみに欠けるようなイメージがある。

兄は母親にもあみ子にも思いやりを見せるやさしい少年だ。しかし、“弟の墓”の事件が起きた頃から、不良仲間と付き合い始め、やがて自宅に寄り付かなくなる。

あみ子は中学生になり、より孤立感を深めていく。依然として学校では孤独。登校してもいじめられ、無視されるだけだから、半ば不登校状態になっている。

家庭では寝たきりの母親が入院し、兄は不在のまま。もはや家族の体を成していない。家族崩壊だ。

ある日、あみ子は父親から引っ越しすることを知らされる。それが何を意味するか。あみ子は直感的に理解するのだが――。

タイトルの「こちらあみ子」とは誕生日に買ってもらったオモチャのトランシーバーで、あみ子が叫ぶメッセージである。「応答せよ、応答せよ」と続けるが、返事はない。仲間や友人のいないあみ子の孤立状態がここに象徴されている。

あまりに孤独なあみ子は、霊界への親和性が強い。幽霊の声を聞いたり、幽霊たちとピクニックを楽しんだり。“弟の墓”もあみ子の霊的想像力につながるものだろう。あみ子にとって“死”はとても身近な世界のようだ。彼岸には安らぎがある。あみ子はそう考えていたかもしれない。

友人のいないあみ子だが、彼女に関わろうとする男子の同級生が一人だけいて、二人きりで会話する場面がある。あみ子が兄以外の人物から本気で話しかけられる唯一のシーンだ。海岸でのラストシーンにもつながるであろう重要な場面。ここに救いを感じる。

今村夏子の太宰治賞受賞作を、新鋭・森井勇佑監督が映画化。オーディションで選ばれた大沢一菜が、破格の存在感であみ子役を演じている。

映画レビュー「こちらあみ子」

こちらあみ子

2022、日本

監督:森井勇佑

出演:大沢一菜、井浦新、尾野真千子

公開情報: 2022年7月8日 金曜日 より、新宿武蔵野館他 全国ロードショー

公式サイト:https://kochira-amiko.com/

コピーライト:© 2022『こちらあみ子』フィルムパートナーズ

配給:アークエンタテインメント

文責:沢宮 亘理(映画ライター・映画遊民)

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