日本映画

映画レビュー「さまよう獣」

2021年6月4日
村に一人の女がやってくる。“ワケあり”らしいが、どんなワケかは分からない。近づいた地元の青年たちは、女に振り回されていく。

内田監督がスタイルを一新

※「女たち」公開中の内田伸輝監督作品「さまよう獣」(2013)公開時に書いたレビューを、一部加筆した上で掲載します。

「ふゆの獣」(2011)、「おだやかな日常」(2012)と、内田伸輝監督の作品を見てきた者は、本作「さまよう獣」(2013)のスタイルに面食らうだろう。

手持ちカメラによる不安定な映像はない。追い詰められ、思わず生身の自分をさらけ出してしまったような、迫真の演技も見当たらない。

あるのは、どっしりと据えられたカメラによる、明確な構図を持った映像。ドラマや映画、舞台で鍛えられた、プロの俳優によるいかにもプロらしい達者な演技。内田監督、大変身なのである。

ストーリーはシンプルで分かりやすい。田舎の青年たちが都会から来た女に振り回される話だ。唯一の謎は、女の正体である。

女は地元の老女の家に居候することになるのだが、“ワケあり”なことは誰の目にも一目瞭然。しかしどんなワケかは終盤まで明かされない。

この謎に観客の注意を引きつけたうえで、“起承転結”の物語が進行していく。ヒロインをはじめ、村に住む3人の青年ら主要人物も、一人ひとり順を追って紹介されるので、無理なくすっと頭に入ってくる。驚くほどオーソドックスな語り口だ。

いきなり現場に乗り込みカメラを向けたような「ふゆの獣」では、人物の一挙一動に目を凝らし、人物像や人間関係を懸命に読み取る努力が求められた。

油断すれば、作品の核心部分を見落とすおそれがあるため、観客は全編にわたりスクリーンとの格闘を強いられた。それが内田作品の魅力でもあった。

しかし、それは、当然のことながら、観客を選別することにつながった。一部の映画狂には支持されたが、多くの観客を動員するには至らなかったのだ。もちろん、自主映画としての限界もあったろう。

本作におけるスタイルの変更は、これまで内田作品とは無縁だった観客層をも取り込む試みと言えるだろう。それは、決して観客におもねることではない。

狭すぎた内田作品への入口を、誰でも入れるように広げただけだ。作品の内部で繰り広げられる出来事は、実のところ、これまでとほとんど変わらないのである。

終盤、第4の男が現れ、映画は「ふゆの獣」を彷彿させるクライマックスを迎える。スタイルは変われど展開されるのは、まさに内田監督ならではの男女の修羅場なのだった。

さまよう獣

2013、日本

監督:内田伸輝

出演:山崎真実、浪岡一喜、山岸門人、渋川清彦、森康子、田中要次、津田寛治

公式サイト:http://www.makotoyacoltd.jp/lovebombs/

コピーライト:© 2012「さまよう獣」Partners

文責:沢宮 亘理(映画ライター・映画遊民)

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