外国映画

映画レビュー「危険なプロット」

2020年7月18日
文才に恵まれた生徒。その作文に教師は魅了される。やがて作文の虚構世界と現実世界との境界は曖昧になって――。

虚構の中に現実が侵入

※「グレース・オブ・ゴッド 告発の時」公開中のフランソワ・オゾン監督作品「危険なプロット」(2012)公開時に書いたレビューを、一部加筆した上で掲載します。

文才に恵まれた男子生徒と、かつて作家を志した国語教師。生徒が書いた作文は教師を魅了し、二人は密接に結びつく。教師の個人指導を得た生徒は、次々と“新作”を提出。教師は生徒の作品世界にのめり込んでいく――。

フランソワ・オゾン監督の新作「危険なプロット」は、16歳の少年とその才能の虜となった中年教師との、スリリングな人間関係を描く。現実の中に虚構が忍び込む、オゾンの真骨頂とも言える作劇術が冴える傑作だ。

新学期を迎えたギュスターヴ・フローベール(「ボヴァリー夫人」で知られる作家の名前!)高校。国語教師のジェルマンは、生徒たちに書かせた作文のお粗末な出来栄えにウンザリしながら日々を送っていた。そんなある日、駄文の山の中に1編のすぐれた作文を発見し、目を輝かす。

書いたのはクロードという、いつも教室の最後列に座る目立たない生徒だった。友人宅を訪れたときの様子を描写した文章には、父子に対する辛辣な批評や、母親への性的関心が、印象的かつ露骨に綴られていた。作文の最後には“続く”と記されている。ジェルマンは“続き”が読みたいと思った。

クロードの文才に惚れ込んだジェルマンは、作文の個人指導を買って出る。ジェルマンのアドバイスを受けたクロードは文章の腕を上げ、次々と“続編”を書いていく。ジェルマンはクロードの作品世界にのめり込んでいく。

だが、ここで不測の事態が持ち上がる。クロードは友人に数学を教えることを口実に彼の家を訪れていたのだが、友人の成績が伸びないため、プロの家庭教師を雇うというのだ。

そうなると、クロードは今までのように友人宅に出入りすることはできず、“家族の物語”を執筆することもできなくなる。あわてるジェルマンに、クロードはある提案を持ちかける。

若い女の色香に迷った男が、愛欲にのめり込み、翻弄された果てに、身を持ち崩す――。ありがちな転落劇、そのバリエーションかと思わせつつ、物語は思わぬ方向に展開し、意外な結末へと至る。

映画は、クロードやジェルマンが生きる現実の世界と、クロードが創造した虚構の世界との間を往復する。最初は区別して見ていられるが、しだいにその境界が曖昧になってくる。

虚構の中に現実が侵入してくるのである。読み手であるジェルマンの想像力の反映と思っていると、やがてそれも怪しくなってくる。このシュールな感覚はオゾン作品に特有の味わいと言える。

しかし、このような感覚は、小説などを読むときに当たり前のように経験していることのようにも思える。小説の中の人物に同化したり、対話したりすることなどは、誰しも無意識にやっているのではないか。

その意味で、本作は作文=小説が書かれるプロセスを描くと同時に、小説を読むという行為がいかなる経験であるかを、映像で表現してみせた作品と言えるかもしれない。

危険なプロット

2012、フランス

監督:フランソワ・オゾン

出演:ファブリス・ルキーニ、エルンスト・ウンハウアー、クリスティン・スコット・トーマス、エマニュエル・セニエ

コピーライト:© 2012 Mandarin Cinéma – Mars Films – France 2 Cinéma –Foz

文責:沢宮 亘理(映画ライター・映画遊民)

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