外国映画

映画レビュー「凱里ブルース」

2020年6月6日
連れ去られた甥を探すため、また女医のかつての恋人に思い出の品を渡すため、旅に出たチェン。たどり着いた村で彼が見たのは――。

40分ワンカット撮影の神業

中国・貴州省。亜熱帯の街、凱里(カイリ)。主人公のチェンは、診療所で高齢の女医とともに働いている。彼は詩人でもある。劇中、随所で朗読されるのは彼が創作した詩だ。

この男にとって、おそらく現実は居心地よいものではない。その違和感が、内的世界としての詩を必要とさせるのだろう。

医師にして詩人。そして、驚くべきか、彼はヤクザでもある。世話になった親分の子供が無残な殺され方をし、その敵を討った。それで獄中生活を送った。

いわゆるインテリヤクザであるチェンは、義侠心に富み、正義心にあふれている。父親違いの弟が息子のウェイウェイを何処かへ売ったと聞くと、にわかに色をなす。

引き取って育てたいとすら思い、可愛がっていたウェイウェイ。弟の父親に引き取られて鎮遠(ジェンユエン)にいる。そう聞いたチェンは、老女医から当地に住んでいる昔の恋人へ渡してほしいと頼まれた思い出の品を携え、鎮遠へと旅立つ。

列車を降り、迎えに来た弟分から、離婚した病気の妻が死んでいたことを知らされるチェン。若者の運転するタクシー=スクーターに乗り、目的地を目指すのだが――。

スクーターの後部にまたがった瞬間、世界は一変する。凱里の街の、いささか猥雑で幻想的な光景から、単純明快な山の風景へ。

延々と続く山道。谷川を挟んで、向こう岸にも深緑の山が連なる。舗装された道路をスクーターが走る。ミャオ族の楽器演奏を聴きたいと一旦別行動となるが、再び合流し、スクーターで走る。

シャツのボタンが取れたので直したいと告げると、若者は小さな村でスクーターを止める。若者の恋人ヤンヤンがこの村で裁縫店を開いているのだ。彼女は凱里で観光ガイドになるのだと言う。

理容店で髪を切ってもらいながら、自分の犯した罪や、死んだ妻のことを、友人の話として語るチェン。

理容師はヤンヤンの友だちだ。道中知り合ったバンドによるライブがあると言う。チェンは理容師に「君のために歌う」と囁き、ステージで歌を披露する。

老女医から預かっていた音楽テープを理容師に手渡すと、チェンは再び若者のスクーターにまたがり目的地を目指す。

驚嘆するのは、最初に若者のスクーターに乗ってから、村を出発して目的地へ着くまでの40分間が、ワンカットで撮影されていることである。

スクーターを降りて、車に乗り換えて、再びスクーターに乗り、村に着く。そこでは、チェンばかりでなく、スクーターの若者やヤンヤンの行動も追いながら、カメラは一瞬も動きを止めないのである。

たとえば、スクーターの背後にいたカメラが、いきなり路地を折れ、先回りする形でスクーターと合流する。階段を上り、階下で聞こえた声の主をとらえると、帰りは別のルートで元の場所へ下りてくる。

一瞬たりとも寸断されない神業40分。その限定された時空間の何という濃密さだろう。

詩人からも医師からもヤクザからも解放され、妻の死も受け止め、生気を取り戻したかのようなチェン。

理容師に対して唐突に芽生えた恋心は、亡き妻への思いが転化したものなのか。凱里ではさんざん嫌がっていたのに、なぜ人前で堂々と歌唱することができたのか。

いくつもの謎を残しながら、スクーターの若者にチェンは尋ねる。「君の名は?」その答えに、観客はチェンとともに眩暈を覚えることになるだろう。

前半は、壁に描かれた時計、洞窟のような室内、壁の脇を走り抜ける電車、夢に現れる女性用の靴など、シュールな映像が次々と現れる。加えて、難解な詩の朗読が複雑さに拍車をかける。

本作において、映像と詩とは補完関係にないと思う。注意を分散させないためにも、複数回見るという前提で、少なくとも初回の鑑賞時には映像に集中することをお勧めしたい。

凱里ブルース

2015、中国

監督:ビー・ガン

出演:チェン・ヨンゾン、ヅァオ・ダクィン、ルナ・クォック、ユ・シシュ

公式サイト:https://www.reallylikefilms.com/kailiblues

コピーライト:© Blackfin(Beijing)Culture & MediaCo.,Ltd – Heaven Pictures(Beijing)The Movie Co., – LtdEdward DING – BI Gan / ReallyLikeFilms

文責:沢宮 亘理(映画ライター・映画遊民)

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