日本映画

映画レビュー「兄消える」

2019年5月24日
エノケンの後継者と言われた天才コメディアン、柳澤愼一。俳優座養成所出身の演技派、高橋長英。対照的な二人が兄弟を演じる。

人生の最終章が幕を開ける

冒頭シーン。兄の金之助が帰ってくる。弟の鉄男が一人で切り回す町工場。40年も姿をくらましていた兄が、突然戻ってきたのだ。画面になかなか現れない兄の姿。声だけが響く。だが、観客には分かっている。

柳澤愼一(以前は柳沢真一と表記)だ。衰えぬ滑舌、ハイボイス。昭和30年代の映画黄金期から、軽妙洒脱な演技で人気を博してきた。レジェンドと呼ぶに値する、第一級のエンターテイナーである。

勝手気ままな人生を送ってきたお調子者の金之助。柳澤にうってつけの役である。このキャスティングだけで、この映画は半ば成功したようなもの。

一方、堅物で地味な鉄男には、高橋長英。こちらもまた適役だ。軟派の柳澤に、硬派の高橋。絶妙なコントラストで、兄弟の絆が描かれていく。

その日は100歳で逝った父親の葬儀の日でもあった。ひょっこり帰還した80歳の金之助は、同伴した樹里という謎の女ともども、ちゃっかり居候を決め込む。

亡父の使っていた介護ベッドを寝床にしようというわけだ。昇降式で背が傾斜するベッドを試しながら、「回転はしないの?」と笑わせる。

いかにも柳澤らしいウィットに富んだセリフの数々は、戌井昭人の脚本なのか、それともアドリブなのか。カラオケの場面なども、一流のボードビリアンたる柳澤の面目躍如である。

柳澤自身がそうであるように、一見軽薄に見える金之助。だが、実は古風な人情深い男だということが、ほどなく明らかになる。困った人間を見ると救いの手を差し伸べずにはいられないのだ。

河原で散歩中、いじめに遭って早退する小学生を見れば、語りかけ、寄り添い、徹底的に付き合ってしまう。いくら周りに迷惑をかけても憎めないのは、そんな人間味ゆえだろう。

結婚の機会に恵まれなかった鉄男を慮(おもんぱか)り、樹里に頼んでインターネットの見合いサイトに登録してしまうお節介も、金之助のやさしさ以外の何物でもない。

そんな金之助と樹里との生活に、生真面目な鉄男も、徐々に馴染んでいく。ところが、ある日、樹里が失踪してしまう。次いで、金之助も姿を消す。

ここからが、この映画のクライマックスだ。金之助が鉄男に宛てた手紙から、金之助の過去が浮かび上がり、秘密が明かされる。そして、静かに幕を開ける人生の最終章。

正反対の道を歩んできた二人の心が、すーっと近寄り、重なり、結び合うラストに、胸が熱くなる。

江守徹と雪村いづみが特別出演。雪村は、「ジャズ娘乾杯!」(55)や「嵐を呼ぶ楽団」(60)などで共演し、日劇のショーでも同じステージに立ったことがある、柳澤の昔馴染み。ワンカットのみだが、粋な登場シーンなので、お見逃しなきよう。

なお、柳澤は本作を遺作と考えているようだが、もちろん断固反対である。

『兄消える』(2019、日本)

監督:西川信廣
出演:柳澤愼一、高橋長英、土屋貴子、雪村いづみ、江守徹

2019年5月25日(土)より、ユーロスペース他全国ロードショー。

公式サイト:https://ani-kieru.net/

コピーライト:©「兄消える」製作委員会

文責:沢宮 亘理(映画ライター・映画遊民)

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