外国映画

映画レビュー「金子文子と朴烈」

2019年2月15日
関東大震災時に起きた朝鮮人大虐殺。アナキストの朴と文子は、事実隠蔽を図る日本政府に対し、獄中から捨て身の闘いを挑む。

国家との闘いに青春を捧げた男と女

「私は犬ころである」。そんな一行で始まる詩に魅了された金子文子は、その作者で朝鮮人アナキストの朴烈(パクヨル)に恋をする。

1923年、東京。日本が朝鮮半島を植民地支配していた時代である。当時、日本の圧政に対し、多くの在日朝鮮人および彼らに共感する日本人が、抵抗運動を展開していた。

朴はこうした反日運動家の中でも、ひときわ過激な人物。文子は朴の同志として、また恋人として、人生をともに歩むことを決意する。ふたりで結成した「不逞社」には、反権力のアナキストやニヒリストたちが参集した。

そんな文子と朴の運命を大きく変える出来事が起こる。関東大震災。その騒ぎに乗じて、朝鮮人が井戸に毒を入れたとのデマが飛び交い、軍や自警団による朝鮮人大虐殺が発生したのだ。

日本語の発音で朝鮮人を割り出し、有無を言わさず竹槍で刺し殺す自警団。こんな事実が知れたら、国際的にも非難を浴びることは必定である。

日本政府は事件から海外の目を逸らすため、不逞社の朴を検束(身柄拘束)する。朴にスポットを当てることで、事件をうやむやにしようと企んだのだ。

政府の陰謀に気づいた朴は、皇太子の暗殺計画を自白。あえて裁判で死刑宣告を受けることで、政府の非道を暴こうと、捨て身の行動に出たのだ。

自らの死をもって日本政府の罪を告発する、朴の犠牲的精神。そんな朴とともに入獄し、朴への愛を全うする文子の揺るがぬ信念。

一方、反朝鮮感情をあおって、国民を大虐殺へと導いたうえ、朴烈をスケープゴートとして利用する内務大臣・水野錬太郎の憎々しさ。

両者の対照が際立つ。だが、決して日本人=加害者、朝鮮人=被害者と、単純に図式化された映画ではない。

弁護士の布施辰治は、必死で朴の無実を訴える正義の男として登場し、また、朴と文子の予備尋問を行う立松懐清は、判事として許される限界まで彼らの立場に寄り添おうとする人物として描かれる。日本人を悪一色で染め上げた作品ではない。

映画レビュー「金子文子と朴烈」

イ・ジュンイク監督が重視しているのは、あくまで歴史的事実である。日本の新聞社から当時の記事を取り寄せ、そこに記された内容をもとに、ありのままの出来事を描き出している。

映画レビュー「金子文子と朴烈」

国家との闘いに青春を捧げた男と女。その苛烈な生を通して浮かび上がる歴史の真実。歴史観の違いなどと片づけられる問題ではない。日韓関係が冷え込む今、すべての日本人が見るべき作品である。

金子文子と朴烈

2017、韓国

監督:イ・ジュンイク

出演:イ・ジェフン、チェ・ヒソ、キム・インウ、キム・ジュンハン、山野内扶、金守珍

公開情報: 2019年2月16日 土曜日 より、シアター・イメージフォーラム他 全国ロードショー

公式サイト:http://www.fumiko-yeol.com/

コピーライト:© 2017, CINEWORLD & MEGABOX JOONGANG PLUS M , ALL RIGHTS

文責:沢宮 亘理(映画ライター・映画遊民)

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