そして人生が動き出す
大学を卒業後、映画監督を目指し北京で暮らしていたサムキ。映画を撮るため久しぶりに故郷のラサへと帰ってくる。映画で描きたいことは決まっていた。幼友だちのラモと過ごした最後の夏のあの出来事。

その出来事をきっかけに二人の関係にひびが入り、そのまま疎遠になってしまっていたのだ。原因を作ったのはサムキ自身。なのに謝罪もできないまま、十数年もの年月が過ぎてしまっていた。
そんな過去に決着をつけたいとの思いからか。サムキは、あの出来事を映画で描くことにしたのだ。

美しい故郷の風景を眺めるサムキの脳裏に、ラモと過ごした懐かしい時間が甦る。それは、ラモの家で“お泊り”した翌朝のことだった。サムキはラモの所有する可愛らしいネパール製の財布に心を奪われ、思わず手を伸ばしてしまう。

父親には拾ったと嘘をつき、必死で探すラモには知らんぷり。サムキは後ろめたさから、ラモとの間に壁を作り、しだいに疎遠となった。そしてラモは他校に転校し、サムキは上海の中学に進学する。

物語は、そんなサムキの小学校時代、中学校時代、そして現在とを行きつ戻りつしながら進んでいく。映画では定石といえる話法だろう。
しかし途中、撮影現場の映像が入ったところでハッとさせられる。今まで回想場面に出ていた小学生のサムキとラモが待機しているからだ。そうか、回想場面は撮影されたものだったのか。

だが、すぐに思い直す。いや、あれは確かに現在のサムキによる回想シーンだ。正直、どっちか判別できないまま、映画は進行していく。
要するに、客観的な事実なのか、サムキの記憶なのか。曖昧なまま、ストーリーが進んでいく。それでも、映画の自然な感覚は失われない。不思議な感じだ。

サムキの記憶自体も、実は曖昧だ。久しぶりに帰郷したサムキが友人たちと旧交を温めるシーンで、彼女はラモに再会する。気まずさに耐えながら、サムキは車の中で会話する。

そこでラモが語ったことは、サムキの記憶と違っている。しかし、食い違いながらも率直に語ってくれたラモの言葉は、サムキを過去のこだわりから解き放つ。
サムキが車でラモを自宅近くまで送り届け、ゆっくりと走り去って行くシーンがいい。過去に引っ張られていたサムキが、吹っ切れたように人生のアクセルを踏み出す。

歪んでいた記憶が修正され、曇っていた視界が晴れたことで、迷いがなくなり、長いモラトリアムから解放されたということだろう。サムキは少女時代から近視で遠くがよく見えない。だが、ずっとメガネをかけるのに抵抗があった。そのサムキが、最後に自分の意思でメガネを作りに行くシーンは象徴的である。

語りの構造、ショットの造形など、全編にただならぬ才気を感じる本作。チベット映画といえば、巡礼、大平原、山岳地帯をつい思い浮かべがちだが、本作はそんな従来のイメージを払拭し、あえてチベット映画と呼ぶことさえ躊躇われるほど、地域性を超えた魅力にあふれている。新進気鋭の女性監督カンドゥン。ぜひ次作にも注目したい。
リンカリンカ〜あの夏の先
2025、中国
監督:カンドゥン
出演:ツェリンヤンチェン、ツェキメト
公開情報: 2026年9月11日 金曜日 より、ヒューマントラストシネマ有楽町、アップリンク吉祥寺他 全国ロードショー
公式サイト:https://moviola.jp/linkalinka
コピーライト:© TIBETAN ANTELOPE FILMS CO., Ltd. ALL Rights Reserved
配給:ムヴィオラ

