日本映画

映画レビュー「ノルマル17歳。 ― わたしたちはADHD ―」

2024年4月14日
ともに高校をサボった日に出会った絃と朱里。ADHDという共通の疾患に悩む二人は、親友として楽しい時を過ごすようになるが――。

ADHDは障害ではなく個性

ADHD。注意欠如・多動症などと訳される。発達障害の一種だ。知的な障害がないにも関わらず、忘れ物が多かったり、遅刻し続けたり、じっとしていられなかったり……。本人は好きでそうしているわけではない。自分自身をコントロールできないのだ。

しかし、はた目からはそう見えないから、同情されない。それどころか、怠け者と思われ、非難さえされる。何とも厄介な疾患である。

本作でヒロインとなる二人の高校生も、ADHDであるがゆえに集団生活からはみ出てしまっている。ただし、二人の外面的な印象は大きく異なる。

進学校に通う絃(いと)は、とにかく物忘れが激しい。目覚ましをセットし忘れ、テストの日に寝坊したり、友人の話を忘れてしまい、怒らせてしまったりして、学業にも人間関係にも支障をきたしている。ADHDであることは両親以外誰も知らない。

一方、ギャル風のメイクを施した朱里(じゅり)は、物忘れの激しさに加え、落ち着きがなく衝動的。遅刻、早退を何とも思っておらず、ほぼ不登校状態だ。ADHDであることをカムアウトしているので、開き直っている部分もある。

テストに間に合わず学校をサボってしまった絃に、サボリの常習者である朱里が声をかけたことで、二人の交友が始まる。派手で社交的な朱里は、控え目で大人しい絃を誘い、行きつけの八百屋や公園、神社などに案内する。

ADHDであることを隠さず、自由奔放に生きる朱里に感化され、絃は自分もADHDだと告白する。共感と信頼で結ばれ親友となった二人だったが、ある日、二人で歩いているところを絃の母親に見つかってしまう――。

多様性の時代と言われ、LGBTQをはじめ少数者への理解が、少しずつではあるが進んできている。ところが、ADHDについてはどうだろう。冒頭に記したように、なかなか分かってもらえない状況が打破できていないのではないだろうか。

普通のことができない。他人と同じようにできない。そんな理由で叱責され、排除される。

そんな仕打ちから逃れようと、絃は必死に自己をコントロールしようとしていた。朱里は息苦しい世界から飛び出し、自分らしくいられる場所を見つけていた。そこには少数ではあるが、彼女を受け入れてくれる人々もいた。

二人を最も脅かしたのが、最大の理解者であるべき家族だったということが、何ともやり切れない。だが、本作のエンディングには希望があふれる。そこには、ADHDは障害ではなく個性なのだという、明確な認識が打ち出されているからだ。

朱里役に鈴木心緒、絃役に西川茉莉。オーディションで選ばれた二人の新人が、対照的なキャラの女子高生を生き生きと演じ、強い印象を残している。

また、朱里の父親役にフリーアナウンサーの福澤朗、絃の母親役にタレントの眞鍋かをり、神社の宮司役には往年の青春スターで、今は俳優・タレントとして幅広く活躍する村野武範が出演し、それぞれ持ち味を発揮している。

映画レビュー「ノルマル17歳。 ― わたしたちはADHD ―」

ノルマル17歳。 ― わたしたちはADHD ―

2023、日本

監督:北宗羽介

出演:鈴木心緒、西川茉莉、眞鍋かをり、福澤朗、村野武範 、小池首領、今西ひろこ、花岡昊芽

公開情報: 2024年4月5日 金曜日 より、アップリンク吉祥寺他 全国ロードショー

公式サイト:http://normal17.com

コピーライト:© 2023  八艶・トラストフィールディング

配給:アルケミーブラザース、八艶

文責:沢宮 亘理(映画ライター・映画遊民)

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