外国映画

映画レビュー「ゴースト・トロピック」

2024年2月1日
終電で寝過ごした掃除婦が、ブリュッセルの街を歩いて帰宅する―。ベルギーの新鋭バス・ドゥヴォスが描く、深夜の一期一会。

16ミリで撮られた夜景の美しさ

ベルギーの首都ブリュッセル。掃除婦のハディージャは最終電車で居眠りし、気が付いたら終点だった。ATMでタクシー代を下ろそうにも残額が足りず、救いの神だった深夜バスは突然の運行中止。寒空の下、ひとり徒歩で帰途に就く羽目になる。

深夜まで職場仲間たちとビルの清掃をし、地下鉄に乗って帰宅する。それがハディージャの日課。決まりきった日々の繰り返しだが、それを不服とも思わず、淡々と人生を歩んできたのだろう。

服装といい名前といい、典型的なイスラム教徒である。移民としてこの街にやってきたが、今やすっかりこの街に馴染んでいるようだ。

そんなハディージャが共に働く清掃スタッフも、おそらく移民が多くを占めている。みな肌の色はバラバラ。仕事の終わりには集まって談笑する。平凡だが、それなりに充実した毎日なのだろう。

ヨーロッパでも指折の国際都市、ブリュッセル。この映画は、華やかで活気に満ちたこの街でひっそり生きる、イスラム系女性の人生に光を当てた作品だ。

作りは至ってシンプルである。深夜の街を独り歩きするヒロインにカメラが付き随(したが)い、彼女の行動や表情を映し出していくだけだ。何か突飛な出来事が起こるわけではない。

道中に出会う人々にも、特別変わった人物はいない。ビルの警備員、コンビニの女性店員、ホームレスの男性、救命隊員、病院の看護師。大半の住民が自宅で安らいでいる時間帯に遭遇するのは、ハディージャ同様、どちらかというと社会的地位は低い人々ばかりだ。

だが、いずれもハディージャが今までほとんど接触したことのない人たちのようだ。通勤電車での寝過ごしが、彼女に思わぬ“非日常”を体験する機会を与えたわけである。

ATMで金が下ろせなかったことを警備員には隠したり、道端で動かなくなっているホームレスに救いの手を伸ばしたり、以前に家政婦として働いていた屋敷に住み着いている男を見逃してやったり、思いがけず発見してしまった娘を気づかれぬよう監視したり。

そんな行動一つひとつに彼女の人となりが垣間見える。夫と死別したシングルマザーであること以外、直接に語られることは少ないが、彼女の歩んできた人生の輪郭がうっすらと浮かび上がる。

物語も構造も簡潔ながら一瞬たりとも目を離せないのは、ハディージャをはじめとする登場人物たちの自然な演技はもちろんだが、舞台となるブリュッセルの街の美しさも大きい。

濡れた舗道を照らす街灯。整然とした路上駐車の列。ライトアップされた建築物。夜間であるがゆえに、その美しさは際立つ。16ミリフィルムで撮られた映像が温かく、そして生々しい。

変哲もない風景に醸し出される幻想味。意表を突くエンディングの転調。ベルギーの新鋭バス・ドゥヴォス監督の映像魔術にしたたか酔わされる。

映画レビュー「ゴースト・トロピック」

ゴースト・トロピック

2019、ベルギー

監督:バス・ドゥヴォス

出演:サーディア・ベンタイブ、マイケ・ネーヴィレ、シュテファン・ゴタ、セドリック・ルヴエゾ、ウィリー・トマ、ノーラ・ダリ

公開情報: 2024年2月2日 金曜日 より、Bunkamuraル・シネマ、渋谷宮下他 全国ロードショー

公式サイト:https://www.sunny-film.com/basdevos

コピーライト:© Quetzalcoatl, 10.80 films, Minds Meet production

配給:サニーフィルム

文責:沢宮 亘理(映画ライター・映画遊民)

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