外国映画

映画レビュー「さよなら、ベルリン またはファビアンの選択について」

2022年6月9日
1931年、ナチス前夜の狂躁に包まれるベルリン。作家志望のファビアンは女優志望のコルネリアと運命的な恋に落ちるが――。

ナチス前夜が“現在”に重なる

ファーストシーンは、ベルリン市内の大きな地下鉄駅。人々が電車から降り立ち、プラットフォームを歩いて行く。長い通路を抜け、階段を昇り、地上に出ると、そこは、1931年のベルリンである。

90年の時間差など存在しないように、自然と時代が過去に飛んでいる。鮮やかなイントロだ。

時はナチス台頭前夜。街は狂躁に包まれ、人々は享楽に耽っている。頽廃的文化が咲き乱れ、怪しげなバーやクラブに、時間とエネルギーを持て余した男女が屯(たむろ)する。

32歳の青年ファビアンもその一人だ。ドレスデンの田舎から都会に出て、タバコ会社のコピーライターとして働いている。だが、本当になりたいのは小説家。

そんなファビアンとつるんで、夜な夜な歓楽街へ繰り出すのは、裕福な親友のラブーデだ。レッシングの研究で教授資格の取得を目指しているが、政治活動にも積極的で、ナチスからマークされている。

ある晩、ファビアンは女優志望のコルネリアと出会い、一瞬で恋に落ちる。目くるめく一夜を過ごし、幸福感にひたる二人。ところが、翌朝、ファビアンは出勤したとたんに、あっさり解雇されてしまう。

一方、コルネリアは女優の夢へ向かって順調にステップを踏み出す。先が見えないファビアンと、輝かしい未来を予感するコルネリア。残酷なまでの格差が二人の愛を脅かす――。

大都会ベルリン。序盤では、その眩いばかりの煌めきと、刹那の快楽を求める人々の息せき切った姿を、当時の実写フィルムや8ミリカメラを使った映像も交えながら、ハイテンポで描き出していく。

そして観客を時代のムードにしっかり包み込んだ、絶妙なタイミングで、ファビアンとコルネリアとの愛の物語をスタートさせる。

中盤、映画は二人の関係をいったん破綻させ、ファビアンの葛藤や苦悩に焦点を当てていく。

ファビアンはさまざまな人々との出会いや再会を経験していく。色情狂のマダム、戦争で片腕を失くした失業者、コルネリアに入れ込んでいる映画監督のマーカルト、すべてに絶望し自堕落な日々を送っているラブーデ。そして、故郷の父と母。しかし、ファビアンの心をとらえて離さないのはコルネリアだけなのだった。ファビアンは意を決し、彼女に連絡を取るのだが――。

二つの悲劇が描かれる。だが、ともに喜劇的な演出がされていて、陰惨な印象はない。原作者エーリヒ・ケストナーの持ち味だろう。随所で原作の一部をナレーションとして流しているのも、ドミニク・グラフ監督のケストナーへの愛を感じさせる。

映画の舞台は、ヒトラーが政権を握る1年前のベルリン。1927年にヴァルター・ルットマンが撮ったドキュメンタリー「伯林(ベルリン) 大都会交響楽」にも活写されていたが、この時代のベルリンは何とも言えない活気にあふれている。

ファビアンも加わる失業者の長い列や、ナチ協力者による密告、銃撃……。随所に不安や不穏の徴(しるし)が散りばめられているものの、まだ恐怖の域には達していない。暗さよりもやや明るさが勝っている。

不気味なのは、現在のドイツがこの時代のドイツと似た雰囲気になってきていることである。日本のメディアでもたまに報道されているが、ネオナチが勢いを増している。

ドミニク・グラフ監督は、冒頭の移動撮影で90年の時差を消して見せたが、単なる遊び心でそうしたわけではないだろう。警鐘として受け止めたい。

さよなら、ベルリン またはファビアンの選択について

2021、ドイツ

監督:ドミニク・グラフ

出演:トム・シリング、ザスキア・ローゼンダール

公開情報: 2022年6月10日 金曜日 より、Bunkamuraル・シネマ他 全国ロードショー

公式サイト:http://moviola.jp/fabian/

コピーライト:© Hanno Lentz/Lupa film

配給:ムヴィオラ

文責:沢宮 亘理(映画ライター・映画遊民)

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