外国映画

映画レビュー「母という名の女」

2018年6月14日
久々に現れた母親は、40歳そこそこの女ざかり。沸々とたぎっていた女のマグマ。娘の出産をきっかけに、一気に噴き出した。

母の仮面が剥がれ、女のマグマが噴き出す

海辺のリゾート地にある別荘。ここにクララとバレリアの姉妹が住んでいる。バレリアは17歳で出産を控えている。同い年のマテオとの無防備なセックスの結果、妊娠したらしい。夜は友人を集めてパーティ。享楽的な少女だ。

一方、年の離れたクララは、肥満体で、男っ気がない。バレリアが隣室で上げている喘ぎ声を聞きながら、黙々と朝食の支度をしている。何から何まで対照的な姉妹だ。

そんな姉妹の元へ、母親のアブリルが久しぶりに訪ねてくる。クララからバレリアの妊娠を知らされ、心配してやってきたらしい。

バレリアは迷惑気な様子を見せる。だが、アブリルなしでは、出産もままならなかったろう。まだ幼い17歳夫婦は、子育てのイロハも分かっていない。同じく17歳での出産経験を持つアブリルに頼らざるを得ないのだ。

当初は甲斐甲斐しく育児を手伝うアブリル。ところが、ある日、彼女は唐突な行動に出る。

バレリアに内緒で、養子縁組の手続きをし、別れた夫の家で働いている旧知の家政婦に、孫娘のカレンを預けてしまったのだ。突如として娘を奪われたバレリアは激怒するが、アブリルは取り合わない。

アブリルは、さらに常軌を逸した行動を起こす。ある夜、マテオを車で連れ出し、カレンに面会させたのだ。娘との思いがけない再会に涙するマテオ。アブリルはそっと抱き寄せ、慰める。

と思ったら、次の瞬間、何と、アブリルはマテオを抱擁し、体を密着させ、関係をもってしまう。義理の母親とはいえ、ヨガで鍛えた若々しい肢体と、大人の女性の色香に、抗うすべはない。

アブリルはカレンを引き取り、マテオとともに同居生活を始める。もはや孫娘でも、娘婿でもなく、彼らはアブリルの娘と夫のようにしか見えない。新婚カップルさながらに睦み合う二人。

娘ばかりか、夫まで奪われたバレリアは、必死でアブリルの居場所を探すのだが――。

アブリルは、少なくとも二度の離婚を経験し、今は独身である。17歳で生んだ娘がクララだとすると、まだ40歳そこそこ。女ざかりといってよい。

沸々とたぎっていた女のマグマ。それが娘の出産をきっかけに、一気に噴き出したわけだろう。原題は「アブリルの娘」。娘とはバレリアのことなのか、カレンのことなのか。

いずれにせよ、“女”を全開させたアブリルにとって、娘よりも重要なのは男である。終盤、そのことが驚くべき事件を引き起こす。

母を捨てて女に邁進するアブリル。そして、アブリルの血を受け継いだバレリア。意表を突く結末に呆然とさせられる。

「父の秘密」(2012)、「或る終焉」(2015)のミシェル・フランコ監督が、女の怖さ、底知れなさに、強烈な光を当てて見せた問題作。

『母という名の女』(2017、メキシコ)

監督:ミシェル・フランコ
出演:エマ・スアレス、アナ・バレリア・ベセリル、エンリケ・アリソン、ホアナ・ラレキ、エルナン・メンドーサ

6月16日(土)より、ユーロスペース他全国ロードショー。

公式サイト: http://hahatoiuna.ayapro.ne.jp/

コピーライト:(c)Lucia Films S. de R.L de C.V. 2017

文責:沢宮 亘理(映画ライター・映画遊民)

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